特集

最先端の英知を結集

スポーツの アンチ・ドーピングに向けて

オリンピック・パラリンピックなど、世界のトップアスリートが競う大規模な国際競技大会。 そのフェアプレーを実現させるには、ドーピングなどの不正行為を厳しく取り締まることも必要です。 スポーツに対するアンチ・ドーピング活動を国内で行っている公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構(JADA)の会長を務めている、薬理学分野大学院教授の鈴木秀典先生に、治療に使う薬とアンチ・ドーピングの関係についてお話を伺いました。

世界的なアンチ・ドーピングの組織ができたのは1999年

―アンチ・ドーピング活動について教えてください。

  • アスリートが競技能力を向上させようとして、スポーツにおいて禁止されている物質(薬)や方法を使うことを「ドーピング」といいます。意図していないものも含め、ルールに反し競技能力を高める行為や、それらの行為を隠すこともドーピングに当たります。

    スポーツのフェアプレー精神に反する行為になるのはもちろん、その薬物を使用することで健康被害も生じるのです。スポーツの公平性を担保し、誤った薬物使用による健康被害を防止・予防することがアンチ・ドーピング活動の大きな目的です。

―どのような団体があるのですか。

  • アンチ・ドーピング活動に関する世界的な組織として、世界アンチ・ドーピング機構(World Anti Doping Agency:WADA)があります。国際オリンピック委員会を中心とするスポーツ団体と各国政府が協力して、1999年に発足しました。

    WADAができたことで、それまで各国やスポーツ種目でバラバラだった禁止物質や禁止事項に、統一したルールが作られるようになりました。

    日本は設立当初から常任理事国として参加していて、2001年に日本アンチ・ドーピング機構(Japan Anti Doping Agency:JADA)が誕生し、活動を展開しています。

男性化やがん、精神症状を引き起こすリスクも

―ドーピングにはどのような薬物が使われるのでしょうか。

使用される薬物は大きく分けて3種類あります。1つは筋力増強、パワーを上げるための薬物です。代表的なものに「タンパク同化男性化ステロイド」などがあり、違反が疑われる分析結果の約50%を占めています。筋力の増強、骨格筋量の増加、闘争心の向上などを期待して不正使用されるものです。

2つ目は持久力を上げる薬物です。持久力を上げるには、体内に多くの酸素を取り入れる必要があり、そのためには酸素を運ぶ赤血球が増えないといけません。赤血球を増やし通常より多くの酸素を全身へ送り、持久力を上げるのです。代表的なものに、腎不全に伴う貧血などで使われる「エリスロポエチン関連薬」があります。

3つ目は神経に働きかける作用を持つもので、闘争心などを高め、やる気を上げる効果を期待するものです。「アンフェタミン」などの神経を興奮させる作用を持つ薬物が代表です。

―健康被害が出ることもあると聞きました。

本来の使い方とは違う使用方法、しかも多くの場合は治療に使用する量をはるかに超えた量を投与するため、健康上のリスクは当然あります。例えば、「タンパク同化男性化ステロイド」を投与した女性アスリートが、後に身体の男性化、精神症状、がんなど、さまざまな症状を発症したという報告もあります。

アスリートは一人ではドーピングをしない

―ドーピングをしているアスリートは、どのようにして見つけるのですか。

ドーピングをしているアスリートを見つけるために、さまざまな分析方法が考案されています。分析方法は日々進歩していて、違法な薬物使用を見つけ出す精度も上がっています。

2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんが開発した質量分析装置も非常によく使われています。最近では「情報調査」も盛んです。アスリートの行動情報を追跡することで、疑わしいケースを洗い出すのです。

行動の追跡でドーピングが摘発されたドイツの事例があります。持久力を向上させようと自分自身の血液を採取して保存しておき、試合直前に自分の体に戻そうと考えたのです。この行為は薬物を使用したものではありませんが、血中の赤血球の濃度を高める作用があるためスポーツにおいて禁止されており、ドーピングに該当します。

警察とアンチ・ドーピング機構が踏み込んだところ、冷蔵庫に輸血バッグが保管されていたということです。これは従来の分析方法では検出が難しかったドーピングに対して、他組織との連携をもとにアスリートの行動を洗い出すことによって、ドーピングを摘発できたケースの一つです。

医学的には血栓症などを引き起こすリスクがあるのですが、ドーピングを試みる人は、能力向上にばかり目を向け、往々にしてリスクには無頓着です

―どのようなアスリートがドーピングに手を染めるのでしょうか。

「アスリートは一人ではドーピングをしない」といわれています。1件のドーピングの背景には、多くの関係者がいるものです。海外では従来の分析方法では検出が難しい、いわゆる「デザイナードラッグ」を専門に作るベンチャー企業まであると聞いています。当然のことながら医師など医療従事者も関わっていると考えられています。

新薬を生み出す日本だからできること

―日本ではどのような取り組みが行われているのですか。

2018年に日本で初めての「スポーツにおけるドーピングの防止活動の推進に関する法律」が施行されました。日本はこれまでドーピングに関しては比較的クリーンな国でした。しかし世界中からアスリートが集まるオリンピック・パラリンピックなどの大規模な国際競技大会では、アンチ・ドーピングも世界レベルで対応しなければなりません。

法律ができたことによって、関係機関とのより一層の連携が推進されることが期待できます。また、新薬を作り出す製薬メーカーとの協力も欠かせません。

JADA、WADAと日本製薬団体連合会は2013年にアンチ・ドーピングに関する共同宣言を採択しました。信じられないことに、市場に出る前の医薬品がドーピングに使用されたことが過去にありました。新薬の情報は、製薬メーカーにとってトップシークレット。

しかし、ドーピングに使用されてしまう可能性のある医薬品の情報を、アンチ・ドーピング機関と事前に共有することや、その薬剤を使用したドーピングの分析方法の確立の際にも製薬メーカーとの連携は欠かせません。実は新薬を市場に送り出すことのできる国は、国外でも米国やスイス、イギリス、ドイツなど一部の国に限られています。そして日本は多くの新薬を世に送り出している国です。

そうした技術を持つ日本だからこそ、アンチ・ドーピングに貢献できることは大きいのではないでしょうか。

4大学が得意分野を生かして相互連携

―日本医科大学としての関わりはどのようになっていますか。

2017年には東京大学、東北大学、筑波大学と本学の4大学によるアンチ・ドーピング研究のためのコンソーシアムが結成されました。それぞれに得意分野を持つ大学が連携し、自然科学と社会科学の両面からの研究体制を推進するための共同体です。

スポーツ科学研究に力を注いできた東京大学、血液や尿、病歴から遺伝子解析情報まで集めたバイオバンク(東北メディカル・メガバンク機構)を持つ東北大学、医学群と体育専門学群の両方を有する筑波大学、そして本学が協力して研究を進めています。

本学からは精神・行動医学分野大学院教授の大久保善朗先生を中心に参加をしています。精神科で治療に使用される医薬品はドーピングの禁止物質と重なるものが多いため、貢献が期待されています。

薬理学教室のメンバー

薬理学教室のメンバー

誤って禁止物質を投与現場の医師も注意が必要

―ドーピング撲滅のためには何が必要なのでしょうか。

私は最も根幹となるのは「教育」だと感じています。日本はドーピングについてクリーンな国だとお話ししました。それはやはり小さい頃からの教育の中で、スポーツにとって大切なフェアプレーの精神を教えているからだと思います。今は中学校や高等学校で薬の適正使用の授業が取り入れられています。大学では医学部や薬学部のカリキュラムにもアンチ・ドーピングが盛り込まれました。

これらの取り組みは、時間がかかるかもしれませんが、長い目で見るとアンチ・ドーピング活動にとても重要なことだと思っています。

―持病を持ちながら、競技に参加しようと思っている一般アスリートにアドバイスをお願いします。

全ての医薬品がスポーツ競技で禁止されているわけではありません。JADAのホームページで禁止物質・禁止方法の一覧も確認できます。処方されている薬が禁止物質に入っているかを検索するサイトもありますので、ぜひ活用してください。

持病があって治療をしていてもスポーツを楽しむことは可能です。スピードスケートの清水宏保さんは、ぜん息の持病がありながらオリンピックで金メダルを獲得しました。アンチ・ドーピングについていえば、適切な手続きを踏めば、特例として禁止物質による治療が許可される場合もあります。

一般アスリートが参加できるマラソン大会なども増えてきました。ぜひ、多くの人にスポーツの魅力、そして医薬品の適切な使い方について改めて考えていただきたいと思います。

鈴木秀典先生

鈴木 秀典先生(すずき・ひでのり)

1986年東京医科歯科大学大学院修了。東京医科歯科大学医学部薬理学講座助手などを経て、1995年日本医科大学薬理学講座講師、 2001年に現職。精神神経分野の薬理学研究を行うかたわら、国内ではいち早くドーピング分野に関わり、現在、日本アンチ・ドーピング機構の会長を務める。

鈴木先生のアンチ・ドーピングへの想い

アンチ・ドーピングの世界は奥深い
薬理の知識が少しでもお役に立てばと願っています

神経薬理学という分野を専門に研究してきたことがきっかけで、初めてアンチ・ドーピングの統一ルールが適用された、2004年のアテネオリンピック頃からWADAの活動に関わっています。アンチ・ドーピングの世界は奥が深く、話し出すと尽きません。自分の薬理の知識が少しでもお役に立てばいいと願っています。

PAGE TOPへ