日本医科大学に関わる数字を紹介します

– 1876年 –

日本医科大学の前身となる日本最古の私立医学校「済生学舎」が誕生した年である。創立から今日に至るまでの146年間に多くの医師を輩出している。

創設者は長谷川泰。当時のドイツ人医師、フーフェラントが書き緒方洪庵によって翻訳された内科書『扶氏経験遺訓』に記されていた「済生救民」(貧しく病気に苦しむ人々を救うことが医師の道)という言葉を実践する私立医学校を設立した。

済生学舎
  • 済生学舎は、世界的な細菌学者の野口英世を輩出したほか、1884年に日本で3人目の女性医師となる高橋瑞子(みずこ)が入学を許可され、1900年までに女性医師136人を養成している。入学者の一人、吉岡彌生(やよい)は、その後東京女子医科大学となる東京女医学校を1900年に創設している。

    その後、諸事情で済生学舎は1903年に廃校となるが、9000人を超える医師を輩出。その流れは「私立東京医学校」「私立日本医学校」に受け継がれ、「済生救民」の精神とともに、現在の日本医科大学に受け継がれている。

  • 長谷川泰

    済生学舎の創設者、長谷川泰(「済生学舎ギャラリー」)

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