変わり続ける時代の中で、新たな医療を創り出そうと挑み続ける医師たち。そのチャレンジの根底にあるもの、その道程に迫ります。

創人

女性ホルモンの研究で生殖疾患発症の謎を解明する

hippocrates 31号 2026年10月発行

大学では物理学を学び、その知見を生かして、解剖学・神経生物学分野で脳と女性ホルモンの関連を調べている石井寛高先生。 生殖疾患がなぜ引き起こされるのか。神経細胞の働きからそのメカニズムを解明することで、疾患の予防や治療法の開発へとつなげようとしている。

自然や生き物が好きで
生物物理学の世界へ

  • 石井寛高先生
  • 大学時代、医学ではなく物理学を専攻していた石井寛高先生。群馬県の出身で、山と田んぼに囲まれた環境で生まれ育った。畑を耕しながら町工場を営んでいた父を手伝ううちに、自然や生き物が好きになっていたという。「今もよく息子と虫取りをしています」と笑顔で話す。

    大学進学で選んだのは東京大学理学部物理学科。当時、物理学の世界では素粒子や物性物理が主流だったが、石井先生が興味を持ったのは“生物物理学”の分野だった。ちょうど生物物理学のテーマの一つであるゲノム解析が、これから発展しようとしていた時代。東京大学では、生物のDNA配列を解読するゲノムプロジェクトが進められていた。生物にも関係がある生物物理学という学問を知り、「面白そうだ」と感じた。

「生化学や分子生物学などの理論の土台になっているのが生物物理学です。そう考えると、医学とも非常に関連が深い学問といえます」

当時は「医学の道に進むとは思ってもみなかった」と話す石井先生だが、生物物理学の分野で身に付けた、顕微鏡で生物の細胞や組織の動きを観察し、解析する技術は、今の解剖学分野での研究にも大いに役立っているという。

脳とホルモンの関係を
解き明かす研究

大学卒業後、石井先生が研究のテーマにしたのは女性ホルモンである。女性ホルモンの一つであるエストロゲンは体内にごく微量しかない物質だが、重要な働きをしている。

「女性が一生のうちに作り出すエストロゲンの量は、わずかティースプーン一杯(数g)ほどといわれています。これを競泳用プールいっぱいの水に溶かしたくらいの濃度でも、生理周期や性成熟といった重要な作用を引き起こすことができます」

石井先生が所属した研究室では「脳の神経細胞が女性ホルモンを作っているのではないか」という仮説を立て、それを実証しようとしていた。

2006年に日本医科大学のシステム生理学分野に移ると、当時教室を率いていた佐久間康夫先生のもとでさらに研究を進めていく。佐久間先生は、神経内分泌と行動との関係を調べる「行動神経内分泌学」という学問において、草分け的な存在だった。神経内分泌とは、神経細胞がホルモン物質を分泌し、全身に信号を伝えるシステムのこと。女性ホルモンを専門とする石井先生にとっては、とても関連の深い研究内容だった。

石井先生はシステム生理学分野で、女性ホルモンがどのような経路をたどってできるのかを解明する研究から、その作用について明らかにする研究へとテーマを深めていった。

なぜ生殖疾患になるのか
メカニズムを解明したい

2012年からは現在所属する解剖学・神経生物学分野へ。

前任教授である小澤一史先生が研究していたキスペプチンという物質に着目。キスペプチンがエストロゲンの分泌を調整しているのではないかという仮説のもと研究を進めたところ、キスペプチンを分泌する神経細胞であるキスペプチンニューロンが、生殖調整の中核拠点(ハブ)になっていると明らかになった。

「簡単にいうと、生殖のための体の変化は精巣や卵巣などの臓器で行われているのではなく、脳によって調整されているということ。その仕組みを中枢性生殖制御といい、最も重要な役割を担っているのが、ハブであるキスペプチンニューロンなのです」

視床下部―下垂体―性腺における性ホルモン分泌の制御を示した図

視床下部―下垂体―性腺における女性/男性ホルモンの階層的な制御。脳のキスペプチンニューロン(神経細胞)が分泌するキスペプチンを介して、性ホルモン分泌が制御される

このキスペプチンニューロンに何らかの攪乱(低栄養、肥満、ストレスなど)が加えられると、生殖疾患が引き起こされるのではないかと考えられる。例えば、ストレスや乱れた生活習慣などによって女性の生理周期が乱れることは知られている。こうした脳と生殖機能との関連を調べるために、研究室ではキスペプチンニューロンを攪乱させたモデル動物を使い、どんな現象が起こるのかを詳しく調べている。これらの研究は臨床とどのようにつながるのだろうか。

「生殖疾患を発症するメカニズムの解明が進むと期待されています。メカニズムが明らかになれば、予防や治療法の確立につながるかもしれません」

石井先生によると、思春期にスポーツをしている痩せ型の女性が生理不順になりやすいのは、低栄養によりキスペプチンニューロンの働きが鈍くなることで引き起こされている可能性があるという。他にも肥満によって起こる生理不順や、多嚢胞性卵巣の原因など、キスペプチンニューロンと生殖疾患の関わりを解明することで、分かってくるものがある。石井先生は、そうした新たな発見を臨床に役立てていきたいと考えている。

医師としての心構えを
身に付ける解剖実習

医学生たちへの教育では、解剖学の講義と実習を受け持っている石井先生。解剖を通した学びは「全ての医学の土台となる」と話す。

「体の構造や形態がどうなっているのか。それぞれがどんな位置関係にあり、相互作用を及ぼしているのかを知るのが実習の目的です。目視で確認をしながら表層から深層まで、人体の全体像を捉えて、頭の中で立体化できるようにする。そこでようやく医学を学ぶ前提に立つことができます」

解剖に際して、石井先生は献体された方やご遺族への感謝の気持ちを学生たちにも伝えている。

「献体に協力してくださっている方がいて初めて医学教育が成り立ちます。学生たちには、解剖学の知識を学ぶだけではなく、医師としての心構えも同時に学んでほしいと思っています」

石井先生の言葉を聞いた学生たちは、皆、真摯な姿勢でご献体と向き合うようになる。その証しに、解剖実習を終えた学生たちは「顔つきが変わる」のだそう。一人ひとりが医師になるという自覚を持ち、ここから医療への第一歩を踏み出していく。

【日本医科大学白菊会】

  • 日本医科大学では、献体登録をしていただくことを目的に「日本医科大学白菊会」を設立・運営しています。献体とは、医科大学での解剖学の教育・研究に役立たせるため、自らの遺体を無条件・無報酬で提供することをいいます。白菊会では、生前に献体を希望される方にご登録いただき、亡くなられた後にご遺族の同意を得た上で、ご遺体をお預かりしています。「私たちの医学教育はご献体者さまとご遺族の篤志によって支えられています」(石井先生)

  • 解剖慰霊祭の祭壇

    2025年度御遺骨返骨式・感謝状贈呈式、解剖慰霊祭

  • 御遺骨返骨・感謝状贈呈式の会場看板
  • 御遺骨返骨式の祭壇

【日本医科大学への献体登録に関する問い合わせ先】

日本医科大学白菊会 献体事務室 電話:代表 03-3822-2131
電話交換手に「献体登録に関する問い合わせ」とお伝えください。
受付時間:【平日】午前9時~午後5時

活発な研究活動が
教育の充実につながる

  • 現在、生殖疾患の発症についての研究を進める一方で、もう一つ力を入れているのが、“脳と性差”に関わる研究だ。生殖に関わる神経回路には、性差が存在することが分かっている。そうした男女間の違いだけでなく、最近では男性間・女性間でも構造の違いがあることが明らかになってきた。その個々の違いが性のグラデーションに関与しているのでないか、というのが石井先生の仮説で、すでに動物実験の段階へと進んでいる。

    日本医科大学の研究環境について、石井先生はこう話す。

    「研究室の垣根を超えて協力し合える環境が整っています。活発な研究活動が、ひいては教育の充実にもつながります」

    最後に研究の魅力を聞いた。

    「今まで分からなかったことが、自分の手で明らかになるのが面白い。ほとんどが失敗で報われないことも多く、一つの成果を上げるのに何十年とかかることもあります。それでも、研究によって自分でしか知りえなかった新しい発見があると、続けてきてよかったと感じます」

  • 研究室のメンバー

    2026年度の研究室のメンバーたち

    顕微鏡で観察する石井寛高先生

    研究では顕微鏡観察が欠かせない

石井寛高先生

石井 寛高先生(いしい・ひろたか)

日本医科大学 大学院医学研究科
解剖学・神経生物学分野
大学院教授

1999年東京大学理学部物理学科卒業。同大学大学院の理学系研究科物理学専攻で博士号取得。2006年に日本医科大学大学院医学研究科システム生理学分野に勤務し、2012年から同大学大学院の解剖学・神経生物学分野へ。2022年から現職。学生たちに医学の基本となる解剖学を教えながら、生殖神経内分泌の研究に力を入れている。

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