変わり続ける時代の中で、新たな医療を創り出そうと挑み続ける医師たち。そのチャレンジの根底にあるもの、その道程に迫ります。
創人
肺がんの新薬開発に向けて大規模な治験に力を尽くす
hippocrates 29号 2026年04月発行
実家の隣がクリニック
母の影響で医師に
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福井県で生まれ育った笠原寿郎先生。実家の隣には、母が開業した小児科のクリニックがあり、「女性の先生に診てほしい」という親たちでいつもにぎわっていたという。
「小学校の同級生も来ていましたし、大人になってからはまたその子どもを連れて来てくれるように。母に聞くと、私は幼稚園の頃から『医者になりたい』と言っていたらしいです」
金沢大学の医学部に進学すると、高校から続けていた弓道部に入部。球技と違って、一人で黙々と練習をすればいいところが性に合っていた。
「弓を構えて、矢を射て、的に当たったか当たらないか。そのシンプルさと、自分一人で完結するところが好きでしたね」
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おおらかな時代だったこともあり、早朝でも夜中でも、いつでも弓道場に行って自由に練習ができたのもよかった。笠原先生にとってのびのびと弓道に打ち込むことは、自分と向き合う大事な時間になっていった。卒業後は内科へ。
「患者さんとゆっくり話せる診療科がいいなと思っていたのと、どちらかというと自分のペースで仕事ができるほうが合っているだろうと、内科を選びました」
内科の中でも、笠原先生が専門に選んだのは呼吸器内科だった。今でこそ、肺がんやCOPD(慢性閉塞性肺疾患)といった疾患を扱う主要な診療科だが、その頃の呼吸器内科は国民病だった結核が治せるようになったことで、医師の数は激減していたという。
「私が医局に入ったときは6人しかいなくて、私で7人目。県内の他の病院にも呼吸器内科を専門とする医師はほとんどいませんでした」
なり手が少ないからこそ、そこで自分の力を発揮してみたい――。その思いを原動力に進んでいく。
薬剤の進化によってがん治療の変化を実感
笠原先生が医師になったばかりの頃は、まだ肺がんやCOPDに効果的な治療法がなく、苦しむ患者さんを前に何もできないことが多かった。「無力感がありました」と振り返る。
そんな状況が、新薬の登場によってがらりと変わった。効果のある薬が開発されたことで治療ができるようになったのだ。その効果を実感した、忘れられない患者さんがいる。60代後半の男性でⅣ期の肺がんがあり、脳にも転移が見つかった。当時は進行期のがんで手術ができないと、内科では手の施しようがなかった。しかし、新しい薬で化学療法を行ったところ、みるみる肺がんが小さくなり、転移した脳腫瘍も消えたのである。
「驚くほどよく効きました。これから肺がんは薬で治せるようになるかもしれない。初めてそんな期待が生まれました」
その患者さんは余命半年と宣告されていたにもかかわらず、5年以上命を長らえることができた。新薬は全ての人に効果があるわけではなかったが、わずかでも手応えを感じたことで、その後、笠原先生は肺がん治療の道に引き込まれていく。
それからも薬の進化は止まらなかった。2000年代には分子標的薬が開発された。
「これは劇的な変化でした。がん治療の転換期といえます。首のリンパ節に5cmほどの転移があった患者さんに使用したところ、2週間後には腫れが引いていた。診察室に入るなり『先生、なくなった!』とうれしそうに見せてくれたのを、今でも覚えています」
肺がんになる人の4分の3以上は喫煙者だが、遺伝子変異などによってタバコを吸わない人でもなることがある。分子標的薬はそうした人たちに特に効果がある薬剤だったため、「なぜ自分が肺がんに……」と苦しむ患者さんたちにとって希望の光になった。
抗がん剤の効き目に関わるメカニズムの研究
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1989年、笠原先生は国立がんセンター研究所の薬効試験部に赴任した。金沢を出たのは、最先端の医療に触れたかったというのが理由の一つ。もう一つは肺がんの治療について共に学び合う仲間がほしいと思ったからだった。福井で生まれ育ち、金沢で働いていた笠原先生にとって初めての東京での勤務。
ちょうど同じ時期にセンターに入った同僚2人とは、それぞれの研究テーマについて相談し合える貴重な存在になった。求めていた仲間が見つかったのである。
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国立がんセンター研究所時代
「彼らが頑張っているから、自分も頑張ろうと思えました」
笠原先生が所属した薬効試験部では、主に抗がん剤の薬剤耐性について研究をしていた。同じ抗がん剤治療をしていても、効果がある人とない人がいるのはなぜなのか。そうしたメカニズムに関わる基礎研究を行っていた。「朝から晩まで、ひたすら研究ができる毎日は楽しかった」と話す。
肺がんは、大きく小細胞がんと非小細胞がんの2種類に分かれるが、小細胞がんは抗がん剤が効きやすいのに対し、非小細胞がんは効きにくいとされていた。その差は何なのか。笠原先生は研究によって、特定のタンパク質が小細胞がんにだけ高く発現していることを発見し、それを報告した。地道な研究の積み重ねによって、日本のがん治療は少しずつ前へと進んできたのだ。
【日本医科大学付属病院化学療法科】
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化学療法科では、がん診療を専門とする医師が、がんの診断や薬物療法などの専門的治療を行っている。外来化学療法センターでは、40床のベッドで月1000人超の化学療法を実施。医師、看護師、薬剤師ともがん薬物療法の認定資格を持っており、がんに精通したスタッフがケアを行う。「短時間で終わらせたい」というニーズに応え、皮下注射での化学療法にも対応している。「安心安全はもちろん、快適に過ごしていただける場所を目指しています」(笠原先生)
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「一人でも多く治したい」
新薬の治験に尽力する
北陸地方における肺がん治療の第一人者ともいえる笠原先生が、日本医科大学で診療を始めたのは2022年。今、力を入れているのは薬剤の開発治験だ。肺がんの新薬を開発するために、同院ではさまざまなフェーズの肺がん患者さんに対して、20以上の治験を同時に進めている。
「分子標的薬や免疫チェックポイント阻害薬が出たことで、肺がんの治療成績はかつてに比べれば良くなってきました。しかし、まだ全ての患者さんに効果があるわけではありません。長期生存率を上げるためには、新薬の開発が欠かせないのです」
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笠原先生を中心に多職種チームが連携して化学療法を受ける患者さんを支える
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40床に増床された外来化学療法室
まだまだ助けなければならない人たちがいる。その人たちのために笠原先生は、日々、力を尽くしている。
呼吸器内科での診療に加えて、化学療法の専門医として化学療法科を率いる笠原先生。化学療法科では、臓器別の診療科では診断がつかないことが多い原発不明がんにも対応し、診断から治療へと導いている。
肺がんに関して最新の治療に携わってきた知見が、化学療法科で活かされている。例えば、免疫チェックポイント阻害薬をはじめとする免疫療法では、免疫に関わるさまざまな副作用が出ることがあるが、それが副作用かどうかを見極めるのは難しい。
「もし免疫療法によって起こっているのならば、免疫抑制剤で症状を抑える必要がありますが、感染症であればそれによってさらに症状が悪化してしまうかもしれません。私たち専門医がその判断をすることで、各診療科の治療をサポートしています」
長年、肺がんの治療に携わってきた笠原先生にとって、呼吸器内科のやりがいは何だろうか。
「自分の知識によって患者さんの理解を助け、安心して治療を受けていただけるようにすること。それが私のやりがいです」
初めて診察室を訪れたときには不安でいっぱいだった患者さんが、話をしながら少しずつ表情を和らげていく。「そんな表情の変化を見られるのが一番うれしい」という。笠原先生の言葉には、患者さんを思う温かい気持ちがこめられていた。
笠原 寿郎先生(かさはら・かずお)
日本医科大学 内科学(呼吸器内科) 臨床教授
日本医科大学付属病院がん診療センター センター長・化学療法科部長
1986年金沢大学医学部卒業。同大学附属病院の第三内科に入局し、呼吸内科医として勤務。国立がんセンター研究所薬効試験部の研究員を経て、2019年に金沢大学大学院医学系研究科 呼吸器内科准教授に就任。2022年から現職。日本呼吸器学会倫理委員会委員、日本肺癌学会評議員、理事、倫理委員会委員長などを歴任している。