変わり続ける時代の中で、新たな医療を創り出そうと挑み続ける医師たち。そのチャレンジの根底にあるもの、その道程に迫ります。
創人
「未知だからこそ面白い」
臨床・研究で腎臓の働きを探る
構造が複雑で多彩な細胞群で構成
さまざまな働きをする腎臓
「なんて綺麗なんだろう……」
初めて腎臓の組織画像を見たときに、三井先生の口から思わず出たのが、その一言だった。組織画像が綺麗とは、どういうことだろう。
「腎臓は構造が非常に複雑で、構成している細胞群も多彩。私たちが普段診断に用いる腎臓の組織標本は、とても鮮やかで綺麗なんです。いわゆる“映える”画像ですね。その鮮やかさは、他の臓器ではなかなか見られません」
握りこぶしくらいの大きさで、腰よりもやや高い位置の背中側に、背骨を挟んで左右2つある。構造が複雑で、構成する細胞が多彩なのは、腎臓がさまざまな働きをしているからだ。
心臓から1回に排出される血液の4分の1は腎臓に流れており、血流の豊富な臓器である。代表的な作用は血液をろ過して尿を作ることだが、それ以外にもホルモンを分泌したり、血圧や代謝を調整したりと、いくつもの役割を担っている。しかし、その働きについては、まだまだ明らかにされていないことが多い。だからこそ、「臓器自体がとても興味深い」のだと三井先生は楽しそうに話す。
三井先生が医師を志したのは、教師だった両親の影響を受けている。「両親は共働きで、女性が働くことはあたり前だと感じていました。幼少期より、父からは専門性の高い職業に就きなさいと言われて育った」という。高校2年生のときに父親が脳卒中で倒れ、入院したことが契機となり、高校3年生のときに医師になろうと決めた。
日本医科大学に入学すると、水泳部に入部。女子高出身の三井先生にとって、男女が共に参加する体育会系の部活は新鮮で、「上下関係の厳しさは練習と飲み会で鍛えられた」と振り返る。
臨床に役立つ研究を
大学院で腎病理を学ぶ
大学卒業後は、神経や腎臓、自己免疫疾患を扱う第二内科(神経・腎臓・膠原病リウマチ部門)に入局。腎臓病には、検尿異常から腎不全までさまざまなステージがあり、その原因もさまざま。さらに高血圧や電解質異常の診断、治療も行うため、幅広い知識が必要とされる領域だ。
「最初の1、2年はとにかく大変でした。国家試験のために学んだ知識だけでは太刀打ちできないことも多くて。医師としての経験をさらに積んでいくことに加え、より専門的な分野を深掘りしていく必要性も感じました」
「臨床研修を終え、一般病院の派遣を終えた頃、もっと深く学びたいという気持ちが強くなりました。この先、医師として患者さんの診療を30年、40年続けるとしたら、若いうちの数年間、じっくり研究する時期があってもいいだろうと」
そこで研究テーマに選んだのが腎病理だった。腎臓内科では診断のために、腎臓の組織を採取して検査する腎生検を行う。腎病理の所見を正確に把握し、診断、治療方針を決定することは、腎臓内科医として非常に重要であると考えたのだ。
日本医科大学病理学教室の扉を叩き、そこで出会ったのが、腎病理のスペシャリストである清水章先生(現・解析人体病理学 大学院教授)である。
「腎疾患の診断ができる病理医は全国的にも限られています。しかし日本医大には清水先生や大橋先生といった日本トップクラスの腎病理の専門家がいらっしゃいます。」
付属4病院を中心に、次々と提出されてくる腎生検標本を数多く観察し、清水先生の指導のもと診断する機会を得ることができた。組織標本を見ながら、一つ一つの病変について「どのような意味を持つのか」を分析し、背景にある病態を考察する。大学院時代に培った腎病理を見る力は、その後の臨床でとても役立っているという。
当時、清水先生から言われて印象に残っている言葉がある。
「研究は、自分の子どもを育てるのと一緒。自分にしか育てられないし、育てて(研究成果を)世に出していくことが大事」
今でも三井先生は、その気持ちを大切に研究に取り組んでいる。
家族で京都に移り住み子育てをしながら研究
大学院時代に第一子を出産した三井先生。研究と子育ての両立は大変だったのではないだろうか。
「出産から3カ月後には大学院に復帰しました。子育てに関しては、夫がかなり担当してくれたんです。そのおかげで、海外の学会にも行けましたし、勉強も続けることができました」
麻酔科医である夫は、同じ医師として三井先生の診療や研究を心から応援してくれた。
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清水先生、北村先生、山中先生とともにハーバード大学のコルビン先生を囲んで
柳田先生と柳田研究室のメンバー
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大学院で腎病理を学び、臨床に戻って数年が経過した頃、三井先生は京都大学に国内留学をしている。京都大学を選んだのは、柳田素子先生がいたからだ。柳田先生は腎臓の分野で世界でもトップレベルの研究成果を出している。
「初めて柳田先生のご講演を聞いたときは、本当に圧倒されました。この先生のもとで学びたいという気持ちが膨らんでいました」
もう一度、基礎研究に携わりたい。その願いを叶えるべく、家族で京都に移り住んだ。研究室では、自分よりも年下の大学院生たちに交じって実験をする毎日。時には深夜まで及ぶこともあったが、「全然苦にはならなかった」と笑顔を見せる。生体イメージングの手法を取り入れて腎臓の発生に関する研究をおこなっていた。胎生期に腎臓はどのように形態形成し、どのように機能を獲得していくのか、立体的に見る3次元イメージに時間軸をプラスし、4次元で変化をとらえる。腎疾患の病態解明に生かされる技術である。
その後、2年間の国内留学を終えて日本医科大学に戻ると、診療や教育を行いながら、腎臓内科の実験室の立ち上げに着手した。現在では、一緒に研究に励む大学院生や実験助手とともに、基礎研究ができる環境がだいぶ整ってきた。
未知の部分が多いからこそ
腎臓内科は可能性がある
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丸山記念研究棟の腎臓内科研究室にて。大学院生の上條夏実先生(左)、中里玲先生(右)
共同研究施設である丸山記念研究棟・臨床系研究室で基礎研究に取り組んでいる。
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現在、三井先生は本院から徒歩圏内にある日本医科大学腎クリニックの所長を務めている。腎臓病が進行し、腎不全で透析治療を必要とする患者さんの診療にあたっている。現在の医療では腎臓の機能の回復が難しい腎不全患者さんをどうしたら減らすことができるのか、このことを一層強く感じるようになった。そして三井先生がクリニックの診療で大切にしているのが、いま目の前にいる腎不全患者さんが安心して透析治療を受けられるようにすること。そのために腎クリニックのスタッフ全員が日々努力し、質の高い医療を行うことを目指している。
「腎臓病は長期にわたって病気と向き合いながら生活しなければならない疾患です。そのため、患者さんへの関わり方はとても重要。その点、当院のスタッフは患者さんに寄り添い、まるで自分の家族のように接してくれています」
クリニック開設は1997年、スタッフは透析治療のエキスパートがそろっている。その安心感が患者さんの満足度にもつながっているのだ。
三井先生に、腎臓内科の魅力を聞いた。「腎臓はまだまだ未知の部分が多い臓器で、これから臨床や研究によって明らかにされる可能性が大いにあります。腎臓内科医を志す若い人たちにとって、開拓すべきところがたくさんあるのは、きっと希望を持って向き合えるはず」。
これまで腎臓病の治療では特効薬が少なかったが、最近では効果の高い薬剤も開発されてきている。疾患の原因も徐々にだが分かりつつある。再生医療への期待も高まっているなど、まだまだ発展していくだろう。「とても未来のある分野だと思います」、そう話す三井先生の声は明るい。
三井 亜希子 先生(みい・あきこ)
日本医科大学内分泌代謝・腎臓内科学
教授(ポストアップ)
日本医科大学腎クリニック 所長
1999年日本医科大学卒業。同大学の第二内科(神経・腎臓・膠原病リウマチ部門))に入局し、主に神経や腎臓、自己免疫疾患の診療に携わる。2005年から同大学大学院の病理学教室で腎病理を研究。同大学付属病院腎臓内科での勤務を経て、2014年から2年間、京都大学腎臓内科学へ国内留学。日本医科大学腎臓内科学准教授、日本医科大学武蔵小杉病院腎臓内科部長を経て、2023年から現職。