変わり続ける時代の中で、新たな医療を創り出そうと挑み続ける医師たち。そのチャレンジの根底にあるもの、その道程に迫ります。

創人

元気でいられる期間を延ばす
それが心臓外科医の使命

日本医科大学千葉北総病院の病院長であり、 同院の心臓血管外科をけん引してきた別所竜蔵先生。 心臓外科医としての腕を磨き、圧倒的な技術力とスピードで、 これまで多くの手術を執刀してきた。 その原動力には「患者さんを元気にしたい」という強い思いがある。

「日医大に育ててもらった」
最下位からトップの成績へ

「小さな頃は、ガキ大将というか、物怖じしないやんちゃな子どもだったんです」と楽しそうに話すのは、心臓血管外科医の別所竜蔵先生。

 勉強に本腰を入れるようになったのは、高校を卒業してから。予備校に通い、医学部に入るまでには2年かかっている。だからこそ、日本医科大学に入学できたときには、「拾ってもらった気がした」と当時を振り返る。

「歴史のある大学だからでしょうか。大学の先生方も同級生もとにかく懐が深かった。僕は間違いなく日本医科大学に育ててもらいました。高校時代の恩師からは『お前が医師になったなんて信じられない』といまだに言われますよ(笑)」

  •  大学時代には、何度も同級生に助けられた。物理の授業でつまずいたときには、物理が得意な同級生が、授業のあとに勉強会を開いてくれた。学生たち30人以上が集まって、にぎやかに教えてもらったのはいい思い出だ。そうした努力のかいもあって、入学したときには最下位に近い成績だったのが、卒業する頃にはトップに上り詰めていた。医師国家試験には、大学内で1位の点数で合格した。

  • 学生時代

    学生時代はバスケットボール部で活躍した

—君は日本医科大学の誇りだよ。

 卒業を目前にして、物理の教授からは、そう声を掛けられた。

無駄な動きが一切ない
速くて安全な手術を

 別所先生が胸部外科(現・心臓血管外科)を専門に選んだのは、そこが「一番大変な場所だと思ったから」だという。

「大学に育ててもらったという気持ちが強かったので、医師になるからには、厳しいところで頑張ろうと決めていました。それが胸部外科だったのです」

 当時、人気のあった消化器外科には10人以上が入局したが、胸部外科に入ったのは2人。しかし、別所先生の心は「ここで外科医としての技術を極めよう」と燃えていた。

「とにかく手術にはたくさん入りました。緊急の手術にも対応できるように、病院で待機していることも多かった。もちろん一人で執刀できるわけではないですが、それでも胸部外科の中で、断トツで手術室に入っていました」

 別所先生が力を入れていたのは、手術だけではない。手術前後の患者への説明は、時間をかけて丁寧に話すことを心掛けていた。

「心臓の手術は患者さんやご家族にとって不安がありますよね。でも、しっかり向き合って説明をすれば、安心してもらえる。時間をかけて説明をするので、先輩の医師たちから『まだ話していたのか』と呆れられたことが何度もあります」

 そうした姿勢は、いつしか上級医たちからも評価され、手術を任される機会は増えていった。

 さらに手術の技術が磨かれたのは、医師になって3年目で赴任した関連病院で、師匠と仰ぐ川村一彦先生に出会ったことが大きい。その圧倒的なスピードと技術力に、驚かされたという。

「大学病院でも難しいような手術を、まだ経験の浅い僕を助手にして、4、5時間で終えてしまう。通常ならば倍以上の時間がかかってもおかしくない手術なのに、圧倒的なスピードでした。それで患者さんが元気に帰っていくのですから、『これはすごいな』と」

 川村先生のもとで手術の手技を学んだ別所先生が、同じようにできるまでに時間はかからなかった。それを物語るエピソードがある。胆嚢摘出手術をしたときのこと。麻酔科の医師が患者に麻酔をかけて、一旦、手術室から外に出た。数分後に戻ってきたときには、もう腹部は閉じられていたという。

「あれ、どうしたの? やめちゃったの?」と驚く麻酔科医に、「もう終わりましたよ」と摘出した胆嚢を見せると、「そんなに速くできるなんて、ありえない……」。そう言われた。摘出までの時間はわずか12分だった。

「どこに病巣があるのか、どこを切ればいいのか、一目見ればすぐに把握できます。だから無駄な動作をせずにスパッと切る。それが短時間で合理的に手術をするコツです」

イギリス留学で学んだ 科学的に物を捉える視点

  •  1998年からはイギリスのセント・トーマス病院に留学。心臓の開心術の基本となる心筋保護の分野で、世界的に知られる病院である。そこで開心術時の心筋保護法についての基礎研究に取り組んだ。別所先生が留学を通して得たのは、「科学的に物を捉える視点」だったという。

    「心臓外科医は、患者さんを手術で治して、かつ、術後の良い状態の期間をできるだけ長くすることが使命です。だから、新しい医療技術や手術法にすぐ飛びつくのではなく、それが真理なのか、歴史に残るような手術法なのかを慎重に見極めなければなりません」

  • 国際学会にて、留学先のボスと

 新しいことへのチャレンジに保守的なのではなく、確実に良い技術だと見極めてから取り入れる。今でもそのスタンスは変わらずに貫いている。

 そうして取り入れたものの一つに、ロボット支援手術がある。別所先生が病院長を務める千葉北総病院では、2020年にロボット支援手術を実施するためのダヴィンチを導入。2022年12月にはすでに2台目が設置された。2023年1月には「低侵襲ロボット支援手術センター」を開設し、これまで以上に力を入れて取り組んでいく計画だ。

元気になった患者の姿が 外科医としての喜びに

  •  別所先生が千葉北総病院に赴任した2007年から、同院の心臓外科手術の件数は一気に増加した。それまで年100件ほどだったが、年間平均で270件まで増えている。手術件数が増加したのは、循環器内科から紹介される弁膜症や狭心症、動脈瘤の予定手術に加えて、地域の緊急症例を断らずに引き受けているからである。

     通常であれば手術をするのが難しいような高齢患者への手術でも、良好な成績を残している。急性大動脈解離で搬送された89歳の女性に緊急手術をしたケースでは、術後5年が経ち、女性が94歳になっても元気に外来を受診することができた。「その場だけの手術ではなく、良好な状態が長く続くような手術をしたい」という別所先生の信念が、結果に結びついているのだ。そのために欠かせないのが、病院の総合力だという。

  • 手術

    世界の心臓血管外科の巨人・故数井暉久教授を千葉北総病院に迎えて大手術に挑んだ(左が数井教授、右が別所先生)

「外科医が良い手術をするだけではダメなんです。ICUで術後の血行動態を維持しながら感染に気を付ける、リハビリで退院までサポートするなど、各専門分野のスタッフの力がなければ、患者さんを救うことはできません。大事なのはチーム力です」

  •  別所先生が医師になる以前の時代は、心臓の手術中に亡くなる患者が半数近くいた。しかし、それが今では1%前後まで下がっている。それだけ手術の精度が上がったのは、医師たちが技術を研鑽し、多くの症例を通して経験値を積み上げてきたからだ。だからこそ、「若い外科医はどんどん手術を経験してほしい」と呼び掛ける。

    「外科医としてのやりがいや喜びは、なった人にしか分からないでしょう。難しい手術を乗り越えて、術後に患者さんが目を覚まし、元気に退院していく。こんなに嬉しいことはないですよ。僕のほうが患者さんから元気をもらっているんです」

  • 術後5年時(当時94歳)の患者さんと外来にて

日本医科大学千葉北総病院の
心臓血管外科

  • 心臓血管外科は、「緻密な術前評価、質の高い丁寧な手術、抜かりのない術後管理」の実践で、高齢者や重症例の手術にも対応しています。緊急症例もできる限り受け入れ、年間平均270例の手術を行っています。「私たちの強みは、多職種スタッフと連携したチーム医療。患者さんが元気に退院できるように、あらゆる面からサポートします。若手医師の教育にも力を入れ、安全にしっかりと経験を積める環境を整えています」(別所先生)

  • staff
別所 竜蔵先生

別所 竜蔵先生(べっしょ・りゅうぞう)

日本医科大学千葉北総病院
病院長・心臓血管外科教授

1988年日本医科大学卒業、同大学付属病院第二外科・胸部外科に入局。栃木県県南総合病院、榊原記念病院を経て、1998年から2年間、英国ロンドンのSt Thomas’ Hospitalに研究留学。帰国後、2007年に日本医科大学千葉北総病院胸部・心臓血管・呼吸器外科 部長、2013年に心臓血管外科部長に就任し、2020年から現職。コロナ禍でも救急体制の維持に力を注ぐ。

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