変わり続ける時代の中で、新たな医療を創り出そうと挑み続ける医師たち。そのチャレンジの根底にあるもの、その道程に迫ります。
創人
科学的根拠に裏付けられた
美容皮膚科学の実践へ
美容への憧れで皮膚科医に
臨床と研究を両立
大学時代に目にしたある新聞記事が、船坂先生を皮膚科の道へと導いた。 「化粧品メーカーが、皮膚科の女性医師と共にシミのための美白化粧品を開発したという記事でした。化粧品に興味がある年頃だったこともあり、美容の分野で研究ができたら面白そうだなと思ったのです」
船坂先生が進学した神戸大学で皮膚科学の講義をしていたのは、当時、教授を務めていた三嶋豊先生だった。三嶋先生は、メラノーマ(悪性黒色腫)と呼ばれる皮膚がんの一種の専門家で、世界的にも知られていた。
「講義が本当に面白くて、感銘を受けました。それで、三嶋先生の下で学びたいという熱意を持って、研究室の門を叩きました」
それまで研究室には女性が在籍したことがなかったが、船坂先生はその第一号となった。大学院に進学してからは、臨床と研究の二足の草鞋(わらじ)を履くことになった船坂先生。研修医として病院での研修を受けながら、大学院での研究を続ける毎日は、「寝る間もないほどの大変な生活だった」と振り返る。
「平日は朝の8時から夜10時まで臨床に携わり、その後に病理学教室で実験をする。土日もずっと実験をしていました。当時、研修しながら大学院に通っていたのは、私だけでした」
その頃、メラノーマの診断ができて、手術から化学療法まで対応できる病院は全国でも数少なかった。そのため、神戸大学医学部附属病院には、多くの患者が治療を求めて集まってきた。
「患者さんの中には、足の裏にできたメラノーマが原因で膝から下を切断しなければならない方もいました。当時は、かかったら最後、助からない病気だったので、診るのがつらいときもありましたね。患者さんを励ましながら精いっぱい、できることをしました」
アメリカへの留学で
研究の面白さに目覚める
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たくさんのメラノーマ患者の診療に携わったことで、船坂先生は「新しい治療法を見つけるためには、研究をするしかない」と強く思うようになったという。その後、三嶋先生の勧めで、メラノーマの病態を明らかにする研究に取り組むことにした。ちょうど1984年にがん遺伝子を探索する手法が確立され、次々とがん遺伝子が見つかっていた時代。船坂先生もそうした時代の空気を感じながら、研究にのめり込んでいった。
1989年にはアメリカのイエール大学へ留学。メラニンを生成する細胞であるメラノサイト研究の第一人者、ラーナー先生の研究室に所属し、ハラバン先生に師事した。ハラバン先生は、皮膚科学の分野で当時最も注目されていた研究者で、メラノーマが自律的に増殖して転移していく「自律増殖機能」を持っていることを発見した人物だ。
「とても勉強熱心な先生で、食事のときもサンドイッチを片手に論文を読まれていました。起きている間は常に研究のことを考えていたと思います」
クリスマスシーズンにアメリカに到着した船坂先生は、ハラバン先生から「これを読んでおいて」と大量の論文を手渡された。とてもすぐに読める量ではなかったが、年明けまでの2週間でひたすら読み進めていった。ハラバン先生のアイデアを理解できるようになりたい、という気持ちで必死だったという。
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1985年に米国ワシントンで開催された第1回米国-日本研究皮膚科学会joint meetingに参加した神戸大学の研究メンバー。右から3人目が三嶋豊先生
1991年に神戸で開催された第42回日本皮膚科学会中部支部総会には、ハラバン先生も出席した(左から4人目)。左端は市橋正光先生、右端は船坂先生
留学中に船坂先生は、「stem cell factor(SCF)」がメラノサイトの4番目の増殖因子だということを世界で初めて報告。さらに、各種メラノサイトの増殖因子が共通して活性化するシグナルがERK(extracellular signal regulated kinase)であることを突き止めた。これらの研究成果は、現在、使用されている分子標的薬の開発の土台にもなっている。インパクトのある発見ができたことで、「研究の面白さを実感できた」と船坂先生は話す。
シミやしわに効果的な
ケミカルピーリングを導入
2年間のアメリカ留学を終えて大学病院に戻った船坂先生は、そこで光線外来を担当する。皮膚科の市橋正光教授が、紫外線による色素沈着を専門としていたため、紫外線に過敏な患者を診る外来を立ち上げたのだ。
「外来では、診断によって光線過敏症ではなくシミやそばかすだと判明する患者さんも多く、そうした方たちに美白剤を使った治療ができないだろうかと思うようになりました」
そこで船坂先生が目を付けたのが、世界最強の美白剤といわれるハイドロキノンである。アメリカでは1950年に開発されてから、すでに皮膚科の治療として浸透していたが、日本では「副作用がある」「危険だ」という医師たちの考えが根強く、ほとんど使われていなかった。そこで船坂先生は、文部省在外研究員としてアメリカのシンシナティ大学へ行き、専門家からハイドロキノンの安全な使い方を学んだ。そして帰国後、自費診療としてハイドロキノンを使ったシミ治療をスタートさせた。
船坂先生が国内で先駆けて導入したものが、もう一つある。皮膚にグリコール酸を塗布して古くなった角質を除去するケミカルピーリングだ。
「ケミカルピーリングはシミやしわに効くと言われていたのですが、そのメカニズムはよく分かっていませんでした。私は研究でそのメカニズムを解明し、日本人の皮膚に対する標準的な治療条件について明らかにしました」
その功績から、船坂先生はケミカルピーリングの第一人者として認められている。しかし、日本でもケミカルピーリングが浸透し、エステなどでも使われるようになると、安易に行われたケミカルピーリングによる被害の報告や相談が国民生活センターに多数寄せられたのである。
そうした状況を受けて、日本皮膚科学会はケミカルピーリング治療のガイドライン作りに取りかかった。船坂先生も作成委員として関わり、2001年に第1版が刊行された。ガイドラインができたことで、正しい治療法が広まった。
日本医科大学付属病院の
皮膚科美容皮膚科外来
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同院では全国に先駆けて美容皮膚科外来を開設。シミ、しわ、あざなどの専門的な治療を提供する。乳児のあざの治療にも対応しているのが特徴。日本皮膚科学会認定美容皮膚科レーザー指導専門医を取得している医師の人数が日本で最も多い医療施設でもある。「皮膚の症状で気になるところがあれば、私たちにご相談ください。美容皮膚科では、科学的根拠に基づく医療を提供しています」(船坂先生)
より質の高い医療を目指し
臨床につながる研究を
2020年から国際色素細胞学会の会長を務める船坂先生。メラノサイトの専門家として、他国と連携を取りながら基礎研究の発展と、シミやしわの治療への応用を目指している。
船坂先生の研究者としての探究は、メラノーマの研究からスタートしたが、現在ではかつて医学生のときに憧れていた美白化粧品の開発にも携わるなど、その幅を広げている。
「いつかは美白剤の研究をやりたいと思っていたので、今、こうしてたどり着けてよかったです。これまでに出会い、指導してくださった先生方にはとても感謝しています」
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最近では、美容皮膚科に興味を持つ若い医師たちが増えているという。船坂先生が教育で大事にしているのが、病態を知り、メカニズムを理解した上で科学的根拠に基づいた治療ができる医師を育てること。
「レーザーの治療でも、設定だけをすれば終わりではありません。どのように当てればよいのか、重ねて当てた方がよいのか、しっかりと示しながら教育をしています」
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大学病院における美容皮膚科の先駆けともいえる船坂先生。レーザー治療も基礎研究の裏付けに基づいて行う
これまで研究をしてきたことが、臨床の現場でも生かされている。例えばシミの治療でも、メラノサイトのメカニズムを知っているのと知らないのとでは、治療の質に大きく影響する。
「研究の下地があることが、私の臨床の強みだと思います。だから若い先生たちにも、ぜひ研究をしてほしいですね。一度、経験しておけば、臨床をさらに高めることにもつながります」
船坂 陽子先生(ふなさか・ようこ)
日本医科大学 皮膚科学 教授
1984年に神戸大学医学部卒業後、皮膚科での臨床をしながら同大学大学院医学研究科皮膚科学で研究に従事。1989年から2年間、米国イエール大学へ留学。帰国後、神戸大学大学院医学研究科皮膚科学分野准教授、日本医科大学皮膚科学准教授を経て、2014年10月に日本医科大学皮膚科学教授に就任。国際色素細胞学会会長、日本美容皮膚科学会理事、日本光医学・光生物学会理事、日本レーザー医学会理事などを歴任。