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脳の分子イメージングで認知症診断を進歩させる

検査での診断が難しい精神医学の分野で、生体内で起こる生命現象を分子レベルで捉える「分子イメージング」の研究に取り組んでいる大久保善朗先生。治療薬の開発にもつながる新たな診断法として、大きな期待が寄せられている。

専門分野の研究のためにスウェーデンへ留学

人の心への興味から精神科医になったという大久保善朗先生。大学時代はラグビー部に所属し、練習や試合に汗を流す日々だったそう。医学部の臨床実習では、「人の心」を扱う精神医学に興味を持つようになっていた。

「精神疾患で苦しんでいた患者さんが、治療によって良くなる姿を目の当たりにしたことで、精神科医の必要性を感じるようになりました。それで自分もやってみたいと思うようになったのです」

大久保先生が大学卒業後、精神科臨床とともに取り組んだのが、統合失調症の診断に関わる「分子イメージング」の研究。分子イメージングとは、主にがんの診断などで使われるPET(陽電子放射断層撮像)を用いて、生体内の分子レベルでの働きや分布の様子を可視化させる画像診断技術のことである。

当時PETはどこにでもあるものではなかったため、放射線医学総合研究所(現在の国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構 量子医学・医療部門)という専門施設と共同研究を始めた。その放射線医学総合研究所が国際交流をしていたスウェーデンのカロリンスカ研究所に、大久保先生は1997年から1年間の研究留学をする。

「私が進めていた研究分野の第一人者が、カロリンスカ研究所にいたファルデ教授でした。ぜひ教授の下で学びたいと思いました。スウェーデンは、研究者を育てる環境が整っていて、学術的なレベルが非常に高かったです」

PETを用いた研究は、薬学・核医学・精神医学の専門家による連携が欠かせないが、カロリンスカ研究所はそうしたチームとして取り組む環境も整っていたという。

カロリンスカ研究所へは、その後も複数の教室スタッフが留学したり、逆に同研究所からの留学を受け入れたり、相互の学術交流が現在まで続いているという。

PET検査で脳を画像化
治療薬の効果を調べる

帰国後、大久保先生は東京医科歯科大学で臨床検査分野の教授に就任したが、再び精神医療に関わりたいという思いから、2003年に日本医科大学の精神医学教室に移る。さらに日本医科大学の健診医療センターにあるPETを使い、分子イメージングの研究をスタートさせることができた。

がんの診断では、がん細胞が通常細胞に比べてブドウ糖を多く摂取する性質を利用して、ブドウ糖に反応した細胞をPETで画像化する。その画像を見れば、がん細胞の位置や状態が分かる仕組みだ。分子イメージングではそれと同じ原理を使って、向精神薬を投与したときに患者の脳の中にどのくらいの量がとどまるのかを、画像上で測定することが可能である。

「現状では、まだ精神疾患を検査で診断するところまでは至っていません。しかし、分子イメージングが治療効果の評価には利用できることが分かってきています」

その第一段階として、統合失調症の薬の用量を決めるためにPET画像を用いる方法を利用した。まずPET検査で、薬が脳の中でどのくらい結合しているのかを測定する。その占有率を測ることで、副作用なく薬の効果が得られるように治療薬の適度な用量を設定することができるようになった。

統合失調症の薬は特に、副作用でパーキンソン症状が出ることがあるため、「副作用なく薬効が得られる最も至適な用量を設定することが治療において重要な意味を持つ」と大久保先生は言う。現在では当初から扱っていた統合失調症の治療薬に加えて、抗うつ薬や認知症の治療薬など、さまざまな薬の研究や治験を実施している。

「患者さんを対象に分子イメージングを用いてさまざまな治療薬の治験を行っている臨床施設は、おそらく国内でも日本医科大学だけでしょう。臨床に近い形で治験ができることで、新たな治療薬の開発までのスピードアップにもつながっています」

認知症の発症過程を解明
早期の診断が可能に

「いずれは分子イメージングで精神疾患の診断ができるようにしたい」と、大久保先生は目標を掲げる。実際にPET検査の実施によって、将来的にアルツハイマー病を発症する可能性を明らかにできるケースも出てきた。「アルツハイマー病の脳の特徴には老人斑と呼ばれるものがあり、以前は亡くなってからでなければ調べられませんでしたが、現在では認知症を発症するまでの過程が明らかになり、これまでは診断ができなかった初期の段階で見つけられるようになりました」

  • アルツハイマー病の進行の過程は、まず脳内にアミロイドという蛋白がたまり、次にタウという蛋白が蓄積される。その後、次第に脳が萎縮し、認知機能が低下していく。PETを使った分子イメージング法では、その最初の兆候であるアミロイド、それに続くタウの沈着量を調べられるようになった。アミロイドがたまっただけでは認知機能にはほとんど影響がなく、症状も見られないため、これまでは診断ができなかったような初期の段階で判断できるという。

  • アミロイドの集積

    左は健常者。右はアルツハイマー病認知症患者で広範なアミロイドの集積が認められる(日本医科大学健診医療センターにて[18F]florbetapirを用いて撮影)

また、大久保先生は高齢者のうつ病と認知症の関連についての研究も進めている。

「以前からうつ病になると認知症になりやすいと言われていましたが、私たちの調査によって、うつ病の人の中には高い割合でアミロイドが蓄積している方がいらっしゃることが分かりました」

アミロイドの蓄積が確認された患者のうち、20カ月後には約半数が認知症に移行していた。今はまだ効果的な治療法はないが、認知症の進行過程が明らかになったことで、今後は新たな治療薬の開発が進むと期待されている。

「日本医科大学では治療薬の開発に向けた治験にも取り組んでいますので、もの忘れなどの症状があり、治験への参加を希望される方はお問い合わせください」

高齢者うつ病に効果的な無けいれん通電療法

  • さらに大久保先生が力を入れているのが、高齢者のうつ病に対するECT(無けいれん通電療法)である。ECTとは頭に電極を貼り、電気を通電させることで脳のけいれんを引き起こすもの。一昔前までは全身をけいれんさせる通電療法は「野蛮な治療法」だとするイメージもあったが、ECTの場合は治療の際に麻酔科医が筋弛緩(しかん)薬を投与し、身体のけいれんを起こさない状態で脳の電気的なけいれんだけを起こさせることができる。

  • ect図

    短期入院で行うECT

「ECTは難治性のうつに対して非常に効果があり、薬では症状が改善しなかった方を治せるようになりました。特に高齢者に多い、脳の機能低下からうつ病を発症しているケースで有効です」

同院は日本総合病院精神医学会が認定するECTの研修施設として、年間の実施例数は約50例に上る。国内でもトップクラスの治療実績だ。ECTを手術室ではなく病棟の処置室で実施し、患者が治療を受けやすい体制をとっていることも特徴である。3週間の入院で1日おきに10回行うコースを基本としている。

救命医療を担う同院では、自殺未遂者の救急搬送も多い。救命処置を終えた患者の下に精神科医が出向き、専門的な治療が必要かどうかを見極めるなど、精神神経科でのケアが重要な役割を果たしている。さらに、退院後もサポートを継続することによって自殺の再企図の予防に努めている。

「精神神経科の治療によって救える命はたくさんあります。治療を終えて患者さんが良くなった姿を見るのが、医師としてのやりがいです」

  • メンバー写真
  • 日本医科大学付属病院の精神神経科

    27床の精神科病床を有し、外来診療とあわせて入院での精神科専門治療を提供しています。精神神経科の中でも総合病院精神医学、老年精神医学、児童青年精神医学、睡眠学、てんかん、産業精神医学といった、幅広い専門分野に精通した専門医師がそろっているため、あらゆる疾患に対応することが可能です。国内でも早い段階でECT(無けいれん通電療法)を導入し、難治性うつ病の治療を積極的に行っています。

大久保善朗先生

大久保 善朗先生(おおくぼ・よしろう)

日本医科大学精神・行動医学分野大学院教授
付属病院精神神経科部長

1980年東京医科歯科大学医学部卒業。1997年に文部省長期在外研究員としてスウェーデン カロリンスカ研究所の精神医学教室に留学。2000年東京医科歯科大学医学部保健衛生学科臨床生理学教授に就任。2003年から現職。

精神医学、特に高齢者うつ病の分子イメージングなどの研究分野に尽力。日本精神神経学会精神科専門医、指導医、認知症診療医。てんかん学会専門医。

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