変わり続ける時代の中で、新たな医療を創り出そうと挑み続ける医師たち。そのチャレンジの根底にあるもの、その道程に迫ります。

創人

好奇心が研究の原動力に
視覚機能の解明を目指す

さまざまな病気を理解するために必要な基礎医学の研究。 新たな発見があれば、臨床にも大きく影響します。 生理学を専門とする金田誠先生は、 まだ明らかにされていないことの多い網膜の働きについて、 長年にわたり研究を続けています。

健康調査に参加した学生時代
無医村地域の現状を知る

金田先生が医師を志したのは、高校時代の友人たちの影響が大きい。入学した都内の進学校では、多くの生徒たちが医学部を目指していたからだ。友人たちと同じように医学の道を選んだのは、ごく自然な流れだったという。山形大学の医学部に進学し、医療研究会の活動に参加するようになった金田先生は、無医村地域での健康調査を経験した。大学2年生の夏に訪れたのは、月山の麓の村。冬になると数メートルの雪が積もるような豪雪地帯で、人々がどのような暮らしを営んでいるのか。家を一軒一軒回りながら住民たちの家庭環境や健康状態を調べていった。

「当時、山形県は高血圧の方が多く、脳卒中になる割合も高かったのです。無医村地域の家々を回りながら、お漬物を食べ過ぎないようにと声をかけたり、どんな食生活をしているのかを聞き取りしたり、現地に1週間泊まり込みで調査しました」

調査した情報を集めて、結果をまとめる。そうした活動によって、地域の実態を知ることができたと金田先生は振り返る。
大学卒業後は神経内科を専攻し、大学院に進学した。神経内科は他の診療科に比べて、症状から明確に診断を導き出せるところに魅力を感じたという。診断がついても治せる疾患ばかりではなかったが、先輩からは「本来なら治せるはずの人を見逃さずに診断することも僕たちの仕事だよ」と声をかけられた。山形大学に医学部が開設されてからわずか数年、県内の医療体制も十分ではなかったため、まずは「病院に行けば診断がつく」と住民に知ってもらうことが重要だったのだ。

脳の神経細胞で標本をつくる実験技術の確立に成功

神経病理を勉強するつもりで大学院に進学したが、所属した内科学第三講座の教授から勧められたのは生理学の分野だった。生理学とは、人間の正常な生命現象を機能の面から解明していく学問のこと。金田先生は数学の成績が良かったため声がかかり、大学院4年生になると九州大学への国内留学が決まった。

  • 「そろそろ臨床に戻ろうかと思っていたのですが、それでいよいよ生理学の研究から離れられなくなりました」

    そう笑顔で話す。思いがけず行くことになった九州大学で、金田先生は生理学研究における画期的な技術の確立に成功した。それは「哺乳類中枢神経細胞の単離法」と呼ばれるもので、脳の神経細胞をバラバラにして一つだけ取り出す(標本をつくる)技術である。それまでカエルなどの変温動物で成功した例はあったものの、哺乳類の脳細胞から標本を作ることができたのは、国内はもちろん世界でもほぼ初めてのケースだった。

  • 九州大学医学部生理学第一講座の仲間たちと

「標本をつくる技術を確立するために、一日10時間以上かけて実験を繰り返しました。その頃は実験のことばかり考えていたのでしょうね。夢にまで細胞が出てきたこともあります」

さらに、標本にした神経細胞がどういう刺激に反応するか、応答を取ることにも成功した。それによって金田先生の下には、たくさんの研究者が技術を学びに押し寄せたという。今でこそ一般的に実施されるようになった実験技術だが、当時は金田先生の他には誰もできる人がいなかったのである。

「国際生理学会に参加した時には、各国の研究者たちから一日中質問を受けました。それだけ世界中で求められていた技術だったのです」

  • 日本医科大学大学院
    生理学(システム生理学)/
    感覚情報科学

    日本医科大学には、システム生理学と生体統御学の2つの生理学講座があるのが特徴。それぞれの強みを生かしながら、共同研究にも取り組んでいる。金田先生が率いるシステム生理学講座の感覚情報科学分野では、電気生理学的手法、生化学的手法、分子生物学的手法などさまざまな研究手法を用いて、網膜における視覚情報処理機構の解明を目指しているほか、再生医学の研究も進められている。

技術の修得を目指してロンドン大学への研究留学

  • 1993年から1年間はイギリスへ留学した金田先生。細胞全体の応答を取るだけでなく、細胞一つ一つからも応答を取る技術を習得するために、研究分野で世界的に知られるロンドン大学の薬理学教室に研究員として赴任した。ロンドンで印象に残っているのは、自由な雰囲気と研究者を取り巻く環境の違いだった。

    「日本では自分で溶液を準備し、標本をつくり、データ解析をしなければなりませんでしたが、ロンドンで私が所属したラボにはそうした業務を手伝ってくれるスタッフがいて、研究者が研究に集中できる環境が整っていました。これは勝てないなと思いましたね」

    ラボで一緒に働いていた二人のアメリカ人とは、今でも友人として付き合いが続いているという。

    「国際学会でアメリカに行った時には、オバマ元大統領の行きつけのお店に連れて行ってくれたり、彼らが日本に来た時には私が浅草やお台場を案内したり、今でも親しくしています」

  • ロンドン

    ロンドン大学留学時代、旅先で出会ったスーさんと。写真を撮影してくれたパットさん夫妻とは、家族ぐるみの付き合いに

現在、二人が教授を務めるノースウエスタン大学には、金田先生の研究室からこれまで何人も留学生を派遣している。ロンドン大学で金田先生と共に働いた経験から、二人にとって日本人は「真面目に実験に取り組み、正確なデータを出してくれる」という印象が残っているのだ。

分からないからこそ知りたい
深く追究していく面白さ

金田先生にとって生理学研究の魅力は何だろうか。

「組織や仕組みの美しさです。病気になると、どうしても体のシステムは壊れてしまうのですが、本来、人間の正常な組織や仕組みはとてもきれいにできています。生理学の研究をしていると、その美しさに魅了されます」

長年、金田先生が専門として取り組んでいるのが網膜の研究だ。網膜は眼の中にある神経組織で、物を見るのに欠かせない組織である。光を捉える仕組み自体は分かっているものの、その後にどのような経路をたどって脳で認識されているのかは、まだ明らかになっていない。

「光を捉える細胞は一つなのですが、そこからたくさんの経路に分かれて情報処理がされています。どの経路で何をしているのかはまだ分かりません。例えば、私たちは屋外でも薄暗い部屋でも、黒は黒として認識できます。そうした感度調整はどこかの経路で、あるいは複数の経路が総合的な関わりで働いている可能性があるのです」

網膜研究の難しさは、症状から仕組みを解明することができないところにある。脳であれば、損傷した神経細胞によって記憶障害や運動障害など、どの機能に影響があるのかが分かるが、目の場合は「見えるか、見えないか」しかないため、細かな症状の違いから神経細胞の働きを分析することができないのである。そうした研究の難しさもあり、現在では生理学の分野から網膜を研究する研究者が少なくなっているという。

「生理学の教科書には全て明らかにされているかのように書かれていますが、証明されていないことはたくさんあります。そこに研究の面白さがあり、興味を持って取り組めば、一生を懸けて追求するのにふさわしい分野です。分からないからこそ知りたいと思う。今でもその好奇心は変わらないですね」

医学の世界では、基礎研究の進歩によって革新的な治療法が生み出されてきた歴史がある。金田先生は基礎研究の重要性をこう語る。

「すぐに治療に結びつくわけではありませんが、基礎研究によって新たな発見や技術革新が起これば、臨床における治療法が大きく変わる可能性があります。私たちが何かを証明する、明らかにすることが医療の前進につながるのです」

金田誠先生

金田 誠先生(かねだ・まこと)

日本医科大学大学院 生理学(システム生理学)/感覚情報科学 大学院教授

1983年に山形大学医学部卒業後、同大学内科学第三講座に入局。1986~87年、九州大学医学部生理学第一講座に国内留学し、生理学の研究に従事。岡崎国立共同研究機構生理学研究所助手(神経情報部門)、山形大学医学部生理学第一講座助手を経て、1993年から文部省在外研究員として連合王国ロンドン大学の薬理学教室へ留学。帰国後は慶應義塾大学医学部生理学教室准教授を経て、2012年から現職。

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