変わり続ける時代の中で、新たな医療を創り出そうと挑み続ける医師たち。そのチャレンジの根底にあるもの、その道程に迫ります。

創人

膠原病の子どもたちを助けたい
診療・研究の基盤づくりに尽力

伊藤保彦先生が専門とするのは小児の膠原病、リウマチ疾患。 成人と小児では症状や治療法が全く違うため、 専門的な診療が求められる領域です。 伊藤先生は日本における小児リウマチ診療の分野を確立させ、 研究・治療を前進させた立役者の一人です。

人の役に立つ仕事を 小児科医に憧れた子ども時代

「小児科を選ぶことに迷いはなかったです」ときっぱり言い切る伊藤保彦先生。幼少期に心室中隔欠損という左右心室の間の壁に小さな穴が開く疾患だと診断され、熱が出ればすぐに近くの診療所に連れて行かれたという。

「小児科医になった今振り返ってみると、わずかに心雑音が聞こえる程度の症状だったので、大騒ぎするレベルではなかったのですが、親は心配したのでしょうね。よく小児科に連れて行かれました」

伊藤先生の小児科医への憧れはその時から始まっている。ちょうど同じ頃、テレビアニメ『巨人の星』に登場する山奥の診療所で働く沖竜太郎医師の姿にも影響を受けたそうで、人の役に立つ仕事に就きたいと、自然と医師を目指す決心をしていた。

そうしたきっかけもあり、日本医科大学に進学した伊藤先生が興味を持ったのは、へき地医療だった。大学時代のクラブ活動では農村医学研究会(現・地域医療研究会)に所属し、地域医療の現場を体験した。そこで感じたのは、自分がこれまで育ってきた都会での暮らしと、田舎での暮らしは全く違うということだった。

「病院が密集するような都会の方が実は特殊な環境で、医療が不足する地方やへき地の方が『普通』なんだと実感しました。だからこそ地域医療に関わりたいという思いが湧きましたし、今でもその思いは持ち続けています」

米国留学で影響を受けた切磋琢磨する研究者たちの姿

伊藤先生の専門は小児の膠原病診療である。膠原病とは一つの病気の名称ではなく、リウマチなどに代表される全身の皮膚や内臓に炎症を起こす疾患の総称を指す。伊藤先生はもともと白血病などの血液疾患を専門としていたが、その研究の過程で、発熱や倦怠感と同時に内臓のさまざまな部位にさまざまな症状が出現する「全身性エリテマトーデス(SLE)」の患者を診るようになったことから、研究対象が膠原病へと広がっていった。当時は、まだ国内で小児の膠原病は一つの診療分野として確立されておらず、「血液の研究を続けた方がいい」と、上司から忠告されたこともあったという。小児の膠原病は希少疾患で、市中の一般病院であれば患者を診る機会が1年に1回あるかどうかの確率だったからだ。

「患者さんは少ないですが、それでも困っている方が一定数はいる。そういう方たちが大学病院には集まってきます。まだ誰もやっていない分野だからこそ挑戦してみようと思いました」

  • そう決心した伊藤先生は膠原病の研究をさらに進めるため、1988年に米国のオクラホマ医学研究財団へと留学する。所属した研究室は、膠原病などの自己免疫疾患において世界トップクラスの研究を行っていた。そこには、研究の成果を上げるために日々激しく競い合う研究者の姿があったという。伊藤先生も研究に没頭する毎日で、平日は夜9時よりも早く家に帰ることはなかったと振り返る。研究室のボスであり、当時すでに自己免疫疾患の分野で世界的な権威であったモーリス・ライクリン医師から学んだのは、諦めないスタンスだった。

  • 留学当時

    米国オクラホマ医学研究財団に留学当時、恩師であるライクリン医師とは家族ぐるみの付き合いをしていた

「成功者とは諦めなかった人のことです。たとえ途中で失敗したとしても、うまくいくまでやり続けなければならないと、ライクリン先生の研究に対する姿勢を間近で見ながら感じました」

小児リウマチを専門分野に
学会の立ち上げで治療法も進化

3年間の研究留学を終えて帰国した伊藤先生が取り組んだのは、国内における小児リウマチ治療の分野を確立させることだった。それまで症状が出る循環器や腎臓、血液、免疫学の分野と、各領域でばらばらに治療を進めていた小児リウマチ疾患に対して、専門的に診ようと考える医師たちが現れ始めていた。それを一つの専門分野としてまとめたのが、伊藤先生が立ち上げに尽力した小児リウマチ学会である。米国から帰国した翌年、1992年に第1回日本小児リウマチ学会が開催された。

わずか30人ほどのメンバーで立ち上げた学会だったが、そこから小児リウマチ治療の流れが一気に変わった。一つの学問として研究が進み、治療法も格段に進化した。それまで小児リウマチに対しては、ステロイドや免疫抑制剤を使って症状をコントロールしていくことしかできなかったが、2000年代に入ってからは生物学的製剤が使われるようになり、積極的に治すことができるようになっていった。

  • クリスマス会

    研修医時代にクリスマス会でサンタに

  • 農村医学研究会にて

    農村医学研究会にて

「効果のある治療法ができたのは大きな変化です。私が医師になったばかりの頃は、ステロイドによって体がむくみ、骨が弱くなってしまう患者さんも少なくありませんでした。特に思春期の女児にとっては、容姿の問題などでつらい思いをされた方もたくさんいらっしゃいました」 同じリウマチ疾患でも、小児と成人では症状や治療法が全く違うと伊藤先生は説明する。

「小児の場合は症状が全身に出ます。高熱が続き、臓器障害が出て、それに伴い関節の痛みが出る。そのため関節だけを診ればよいのではなく、全身管理が必要になります。場合によっては命に関わることもあります」

小児リウマチ疾患は専門家でなければ診断が難しいため、日本医科大学付属病院の小児科には、診断がつかずに紹介されてくるケースも多い。

「頭が痛い、なんとなく調子が悪い、めまいがする、微熱があるといった子どもの中には、自己免疫疾患の初期段階の可能性があるので注意が必要です。何年かしてから小児リウマチを発症することもあります。不調が長く続くようであれば、当院の小児科にご相談ください」

  • 小児科
  • 日本医科大学付属病院の小児科

    「体調の悪い状態が長く続く場合は、深刻な疾患が隠されているケースもあるため、当科へ遠慮なく受診してほしい」と伊藤先生は呼びかける。同院の小児科では、たとえ軽い症状でも患者の訴えに耳を傾け、精密な検査でしっかりと診断する方針をとっているほか、9つの診療分野(アレルギー班、免疫・膠原病班、血液・腫瘍班、循環器班、神経班、呼吸器班、腎臓班、内分泌班、新生児班)での専門的な医療で力を発揮する。

患者に寄り添う心と研究心のある医師を育成

日本医科大学医学教育センターのセンター長として、医学生の教育にも力を入れる伊藤先生。日本医科大学は、国際評価基準に適合する大学の認定を受けており、さまざまな取り組みを実施している。その一つとして、コミュニケーション能力、統合された医学知識、国際性など、医師に必要な能力を細かく設定し、目指す医師像から導き出した逆算式のカリキュラムを導入している。さらに、ICTを活用した教育システムの導入も進めている。同センターでは、新型コロナウイルス感染症が流行するより1年以上前に、大学の全講義を収録し、どこにいても聴講できるシステムを作り上げた。そうしたシステム面を強化する一方で、伊藤先生が重要視しているのが臨床現場での学びである。

「医療知識だけでなく、医師としてのプロフェッショナリズムや心構えを身に付けてもらいたい。私自身、大学時代に農村医学研究会で人と人とが触れ合う医療を経験したことが、その後の医師人生に大きく影響しています。学生たちには診療において大切な、豊かな人間性を培ってほしいと考えています」

同センターが目指すのは、日本医科大学が教育理念として掲げる「愛と研究心を有する質の高い医師、医学者の育成」である。

最後に、伊藤先生に小児科医のやりがいについて聞くと、この答えが返ってきた。
「一つは、子どものことならどんな疾患でも診られるところ。もう一つは、治した患者さんたちの成長が見られることですね。大きくなって『高校に受かりました』『子どもができました』と報告に来てくれるのは、本当にうれしいです」

伊藤保彦先生

伊藤 保彦浩先生(いとう・やすひこ)

日本医科大学 小児・思春期医学 大学院教授 医学教育センター センター長

1983年に日本医科大学卒業後、同大学付属病院の小児科に入局。1988年から3年半、米国オクラホマ州オクラホマ医学研究財団へ留学し、自己免疫疾患の研究に従事。帰国後、日本医科大学千葉北総病院の小児科医局長として新病院(当時)開設に携わる。2012年に小児科学教室の教授に就任。日本医科大学教務部長、医学部長のほか、日本小児科学会理事・代議員・指導医・専門医、日本小児科学会東京都地方会会長、日本小児リウマチ学会学理事・理事長などを歴任。

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