変わり続ける時代の中で、新たな医療を創り出そうと挑み続ける医師たち。そのチャレンジの根底にあるもの、その道程に迫ります。

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「苦しむ患者を減らしたい」 花粉症治療のトップランナー

今や日本人の3人に1人は花粉症にかかる時代。 症状がひどくなると日常生活にも支障を来すため、 深刻な悩みを抱える患者は少なくない。 大久保公裕先生は、スギ花粉症の舌下免疫療法をはじめとして、 さまざまな治療法の開発に取り組んでいる。

両親の姿を見て目指した耳鼻咽喉科医の道

耳鼻咽喉科の医師になること、日本医科大学で学ぶことは、子どもの頃から決めていたと話す大久保公裕先生。

「実は父も母も、母方の祖父も日本医科大学の耳鼻咽喉科に入局していて、私も同じ道を選んだのです。医師になった時は、両親もとても喜んでくれました」

開業医だった両親は、日々忙しく診療をしていた。たくさんの患者に囲まれ、信頼を集める姿を見て尊敬の念を持ったことが、耳鼻咽喉科を目指そうと決めた理由だ。

大学時代はかつて父も所属していた馬術部に入部し、すっかりその魅力に取りつかれていった。今でも趣味で馬に乗っている大久保先生は、日本馬術連盟の副会長でもある。「医師としての診療」と「馬術」、一見まるで違う二つだが、共通するところがあるという。

「人や生き物を大切に思う心がなければ、診療も馬術もできませんよね。馬術は動物を相手にする競技ですから、コミュニケーションが大事です。それは、普段の診療にも通じるところがあります」

患者が何に困っていて、診療で何をしてあげられるのか。診察でのコミュニケーションを通して、「相手の気持ちと身体の両方を診ていかなければならない」というのが、大久保先生の考えである。

 

米国への留学でアレルギーの研究に没頭

大学院を卒業した大久保先生は、半年も経たないうちに米国の国立衛生研究所(NIH)へ留学をする。当時、世界のアレルギー治療の分野をけん引していたマイケル・カリナー先生の下で、基礎研究に従事することになったのだ。

「もともとアレルギーを発症する時に、身体の中で何が起こっているのかを考えるのが好きだったので、良い経験になると思い、二つ返事で引き受けました」

まだ暑さの残る9月に渡米してスーツを着てあいさつに行くと、「研究室のメンバーはみんな短パンでした」と懐かしそうに振り返る。米国に行って驚いたのが、研究だけに集中できる環境だったこと。米国は分業が進んでいるため、朝から晩まで研究に没頭できたのが、新鮮な体験だったという。

「オンオフの切り替えがはっきりしているので、昼休みにカリナー先生の自宅に招かれ、プールで遊んで、時間になるとまた戻って仕事をしたこともあります。とてもアメリカらしいなと思ったのを覚えています」

2年半の留学期間中に大久保先生は、鼻の過敏性をテーマとした3本の論文を書き上げた。その後、米国の研究室からは「残ってほしい」と引き留められたものの、帰国を決意。その背景には、耳鼻咽喉科医として臨床に携わり、専門的な手技を磨きたいという強い気持ちがあった。わずか0.001ミリの薄さの鼓膜を、いかに痛みがないように触れるか。そこには医師の職人技ともいえる技術力が求められるからだ。

「例えば皮膚の切開では1ミリずれてもほとんど影響はありませんが、鼓膜は向こうが透けて見えるほどの薄さで、わずかな誤差も許されません。少し手が震えただけでも、患者さんは痛みを感じてしまう。それだけ繊細なものを扱っているのです」

耳や鼻の中といった、人に触れられたくない部分を扱う診療科だからこそ、技術力を磨くことで少しでも患者の負担を軽くしたい。帰国後はそうした気持ちで、日々の診療に向き合っていった。

米国NIHの研究室メンバーと

米国NIHの研究室メンバーと

スギ花粉症に効く舌下免疫療法の開発

大久保先生が帰国した1990年代前半は、ちょうど国内における花粉症治療の研究に注目が集まっていた時期。2000年代に入ると厚生労働省が研究班を立ち上げ、スギ花粉症に対する舌下免疫療法の導入に向けて動き出し始める。主席研究員だった日本医科大学の奥田稔医師の下でメンバーに加わった大久保先生は、後に大規模臨床試験の責任者として研究班を率い、舌下免疫療法の確立に大きく貢献した。研究をスタートさせてから、最初の薬剤ができるまでには14年かかっている。その過程にはどのような苦労があったのだろうか。

「舌下免疫療法がスギ花粉症に効くことを証明するまでが大変でした。どのぐらいの量を摂取すれば異物に対する反応を減少させることができるのか、臨床試験で実証していかなければなりませんでした」

それまでスギ花粉症に対する根治療法としては、スギ花粉エキスを皮下注射する「皮下免疫療法」があったが、1週間に1回注射をしなければならない上に抗原濃度が上げられなく効き目の弱い方もいました。その点、舌下免疫療法は、全ての方が1日1回高い濃度のスギ花粉エキスを舌下に含んで1分間そのままにして、その後に飲み込むだけでよい画期的な治療法だ。スギ花粉エキスは現在、常温での保存が可能な錠剤が開発されている。舌下免疫療法は2014年に保険適用となり、スギ花粉症患者の約8割に対して効果を上げている。

  • 舌下からスギ花粉アレルゲンが認識

    舌下からスギ花粉アレルゲンが認識→扁桃などのリンパ節で反応→制御系の免疫誘導が起きる(制御性T細胞が増加しIgG抗体などが増加する)

  • その後、大久保先生の研究班ではさらに研究を進め、2019年12月にはそれまで気管支喘息と重症のじんましん患者に使われていた薬物「オマリズマブ」(*)が、花粉症の症状緩和に効果があることを証明し、世界で初めて保険適用を受けた。オマリズマブは2~4週間に1回の皮下注射で、アレルギー症状を起こすIgEという物質の働きを阻害する抗体療法である。国内ではすでに1500人以上の重症スギ花粉症患者に実施されている。

「オマリズマブは根治療法ではありませんが、これまで抗ヒスタミン薬やステロイド薬では症状を抑えることができなかった方に対しても有効です。例えば、副作用が強いために舌下免疫療法ができない場合に、オマリズマブを使って副作用が出ない状態にしてから導入するなど、組み合わせることで根治につなげられる可能性もあります」

そうした大久保先生の研究は世界的にも評価され、「Expertise: Seasonal Allergic Rhinitis Worldwide」が発表する研究者のランキングで、個人で9位、日本医科大学でも9位にランクインしている(2020年12月15日現在)。

*オマリズマブの適用には条件がありますので、まずは主治医にご相談ください

コロナ時代における新たな花粉症治療

次々と新しい花粉症治療が研究されていくなかで、「免疫療法はこれからも進化し続ける」と大久保先生は語る。

「舌下免疫療法は治るまでに2、3年かかります。今後は、その時間をもっと短くしていくことが目標です。スギ花粉でその方法論が確立できれば、それを他のアレルギー疾患の治療に応用していくことも可能です。そのためにも免疫療法を一歩も、二歩も進めていきたい」

さらに新型コロナ感染症の流行も、花粉症治療に大きく関わるだろう。くしゃみなどの花粉症の症状によってウイルスが拡散される可能性があるため、これまで以上に花粉症治療の重要性は高まると大久保先生は予測している。治療によって症状を抑え、目や鼻の周りを触らないようにすることが、コロナ新時代には求められているのだ。

「花粉症は治らない病気ではありません。レーザーなどによる手術治療、舌下免疫療法、内服薬や点鼻薬、点眼薬での対症療法といくつもある治療法の中から、患者さん一人一人の環境や症状に応じて、適切に組み合わせることが大切です。つらい症状でお困りの方は、ぜひ専門家にご相談ください」

  • 的確な花粉症の治療のために
  • 大久保先生監修の『的確な花粉症の治療のために(第2版)』が厚生労働省のサイトでリリースされた

    サイトはこちら(PDF)

  • 耳鼻咽喉科・頭頚部外科

    2020年第38回日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー学会主催時の集合写真

  • 日本医科大学付属病院の耳鼻咽喉科・頭頚部外科

    当科では、聴覚、平衡覚、嗅覚、味覚などの感覚器障害、頭頸部臓器のアレルギーや炎症、腫瘍など幅広い分野を扱っており、各分野のエキスパートが専門性の高い医療を提供しているのが特徴です。アレルギー性鼻炎や花粉症に対するアレルゲン免疫療法(減感作療法)やレーザー治療の専門外来、頭頸部腫瘍専門外来、めまい外来、補聴器外来などを行っているほか、各種手術治療での短期の入院にも対応しています。

大久保 公裕

大久保 公裕先生(おおくぼ・きみひろ)

日本医科大学頭頚部・感覚器科学分野 大学院教授
付属病院 耳鼻咽喉科頭頚部外科 部長

1984年日本医科大学卒業。1988年に同大学大学院耳鼻咽喉科修了。1989年から米国立衛生研究所(NIH)に2年半留学し、鼻の過敏性についての基礎研究に携わる。2000年日本医科大学耳鼻咽喉科准教授に就任、2010年から現職。日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー学会 理事長。奥田記念花粉症学等学術顕彰財団 理事長。日本耳鼻咽喉科学会 代議員。

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